数字で振り返る10年だとかそうでないとか

ものすごくひさしぶりっす。これは。ニコリ本誌で没ってしまいました。掲載なしというのはおそらく季刊一発目の88号以来です。21号前だから5年ぶりか。季刊になってからもうそんなにたつのかーと今驚きを隠せません。おそらくあれですよね、発行間隔がゆるやかになったから、時間の進みもそれに連動してゆっくり感じられると。なるほど。ちなみに95号ではパズルは載っていないけど、脱帽のコーナーの選者だったのでかろうじて掲載であったのだ。これは3年半まえか。これまただいぶまえだ。
何が寂しいってこの載らないというだけのことなのに。身についた癖。しかしながらこれはこないだ気づいたのだけど、このたび迎える2004年12月10日というのはわたくしが初めてニコリにパズルが載って以来、じつは丸10年にあたるのである。なんと掲載10周年記念おめでとう!という時にあって全没というのは輪をかけて悲しい。ちなみに初掲載は52号の隔月時代であります。
あんときの初掲載はぬりかべGであった。夏休みに作ったやつだった。盤面に52と5と2をたくさん配置するという趣向でつくったやつ。後半に行くにしたがってどんどん2が増えてついでに1まで導入して、まあ技術がなかったので、という感じの問題。それから考えるとかなり技術があがったなあ現在は、と実感する。いまなら、たとえば盤面全部10のぬりかべを完成させることもできるわたくしではある。しかしどうだろうか、技術の向上とともにあのころに感じていたパズルへの純粋な思い、ただ無心に鉛筆を動かしていたあのころの気持ちを今も持っているだろうか。失われた日々がなつかしい、、、あの日々よ永遠に、、、などとは2%位しか思わない。だっていまといてみると面白くないのだもの。まあ作ってる間はたのしかったはずだがやっぱり面白さのツボというのも時間とともに変化してゆくものである。

なげかける問

フィルオミノの発生にかんする手筋として吸込みと吹出しがあるけれども、吹出しで魅せていったほうがいい、これ当然そうね、ということをかねがね主張してきたわたくしであり、実際その信念は揺らいでいない、というかますます強化される一方である。それというのも11月に発売された、ペンパMIX!で多数、発生の手筋が使われていたのだけれど、おもうにちょっとつまらくない?ていうかまあインパクトはあるんだが、なんか発生にこだわって、その他の部分がいかにも処理しました風情になっていたりしてなんかいや、である問題がややみられたんじゃあなかろうか。
要は使い方だと思うのです。普通の数字が伸びたり弾いたりしたりする展開のなかで、いきなり発生・蛇花火をつかうと、必然的に解く人はいきなりの1マス注目をしないといけんようになるじゃない。これはとってもリズムが悪いし見つかりにくいことおびただしい。
1マス2マス3マス目あたりまでは蛇花火を意識させずに決めることもできるんです。そこまでを決めておいて手が止まったあたりで、お、この溝が空欄になってる地帯はあやしいな、かぞえてみると1もだめ2もだめ3も4も・・・・じゃん!ってなればこれうまいこときずかせるし流れをこわさずいけるじゃない、ということだと思うのです。

これは自分の好み?それとも割と普遍的な傾向なのか?とはっきり心は定まらない。割と普遍的な傾向、という言い方もじつにこうあいまいな、なんか言葉の意味がドロドロ解けてくかんじで、まったく自分の性格をあらわにしているようだ。といった自己分析はどうでもいいのだけど、フィルオミノの話はまだまだ続きます。でここのところフィルオミノを作る折、約1年前に発掘した数字の配置を導入して作っています。すなわちこないだのペンパMIX!、でものったあの数字ぎっしりの配置でつぎつぎ押し出し押し出しして解けていくやつね。であれは実際俺はもうはまっていて、ほかの人にもどんどんぱくっていただきたいと切望するほどにはまっているのだ。で、作るほどに解くほどにまったく面白いなあと感心するような幸せな状態でもある。で、MIXのにゃんこばずうかさんの問題もそうなんだけど、私がフィルオミノで面白いとおもうのは数字ののび、弾きにかんする手筋で、発生もいいけどぜったい伸び・弾き連合軍のほうがいいよなあなんて感じてこれは他のみなさんもそうなんだろうかとここのところゆれるこころなのである。
だからぬりかべはきっと黒ますの封鎖を防ぐところがいいし、フィルオミノは伸び・弾きがアイデンティティーなのだよ、なんてかんじで最近。

普通の感想

ペンパMIX!

数問載せていただきました。自信作が載ってうれしい。
しかしながら自信作でないやつやそれほど好きではない種類のパズルは
果たしてどういった問題だったのかを忘れがちでございますから、ゆえに自作を全部といて確認したところ
カックロの難しいほうがなかなか自分内カックロ高番付に位置していることが判明。こういう発見はうれしいし、自らの忘却力に感謝したいところである。
あと、先ほどから申し述べている自信作というのはずばりフィルオミノ小サイズコメントつきですのでぜひといていただきたいと願う所存。損はないはずだ。

むむむと唸る

スリリンのペンパ本が来ましたが、100冊目だそうで、これはおめでとうございます。
で、それはそれで、今回の依頼は結構いい問題ができた手ごたえがあったために、これは大分載るんではないかとの期待をこめたものの、全部で2問しかのっておらず、しかもそのうち1問はデザイン的にかなり無理をしてさすがに単調かな、と自省したやつだし、もうひとつは某アセ氏のパクリなうえ元ネタより面白さが減っているというやつなので、なんというか、哀しい。

波及効果

もうペンパ本用原稿は提出済み。
波及効果を作ることは面白かった。
作り方に発見があった。わかったところはすべて決めるちうことが、これほどにも肝要であったのだね。
普段ぬりかべとかスリリンとかのエリアごとに決まる範囲が限られてるタイプのペンパをやってるときは、すでに白マスだ、とか黒マスである、とか決まったなら、それが未解決の部分にほとんど影響をあたえないから、がんがんすすめられるが、波及効果的な1マス単位の探索型ペンパでは先読みをしたおして決まるところはすべて決めないと、水面下での矛盾をどうしても見逃してしまい、そのために中盤であああ、とかえぇぇ〜、という嘆声とともに破綻を招くのである。
それがなんちゅうか、心のそこからわかったね。俺は。
気づいてからはらくちん。仕掛けを練りこんでもびしばし先読みを利かして盤面を埋めた末、普通に解けない部分があったらあとで数字を水増しして調整すればいいんだし。
で、波及効果とともに来た依頼が数独数独も1マス単位の探索型ペンパ、波及効果と同系列であって、すなわち上記了解事項をモロに応用できるんじゃない、との気づきをえたわたくしはそのとおり実践。まさに予想通りうまくいって、数独作成も手の内に入れることができたのである。これまでよくわからなかったハードな数独の作成もこれからはお手の物である(たぶん)。このように他種ペンパにまで応用できる考え方をわたくしに気づかせてくれるとは、まさに名実ともに波及効果。やるぜ。

ポストが遠い

ペンパ本用に波及効果をたくさん作った。破綻をやたらと引き起こすパズルだな、と思っていたが、実に偶然にもこのたびの依頼直前に波及効果ブームが自分内に到来し、そこでざくざく作って練習できたのがうまく利いた。しかし見事なタイミングである。で、今回の短期集中波及効果製作によって破綻しないコツのようなものを会得したというか、べつに破綻しやすいパズルではないとの知見を得たというかいずれにしろ、破綻よさらば、な波及効果イスト化したのはよいのだけど、実は真の問題点が浮上したのである。それは問題作成中ではなく、チェックしたあとにおかしなところがぼろぼろ見つかるというやっかいな問題であった。結局作るときの破綻チェックをいいかげんにして、そのかわりに解きなおしチェック時にしわを寄せてるだけともいえる。まあそんなことだから、つくるだけならよいのだけれど、現在原稿清書の真っ最中であって、解きなおしをすると平気で2がひとつおきに配置されていたりして完璧に二週間前の自分の尻拭いの連続となっている現状に、もうそれは清書への意欲がそがれることよ。ポストが遠い。

日記を書く

お、ちょうど十日だ。パズル通信ニコリ108号の発売日である今日は。
今回も細々と二問掲載されてほっと胸をなでおろすといったところでしょうか。
パズル・ザ・ジャイアントにおいてどうだ、といわんばかりにどで〜ん、と登場させたわりに芳しい反応もなかったんですけどフィルオミノにおけるチューブのような解き筋、をなんとか定着させたい、定着してねお願い、とニコリにおいて普及を図ろうとしたフィルオミノ中サイズがまんまとのってよかったが、中サイズだとそんなに爽快感もなかったかもしれん。
四角に切れもといてみればわかりますが、なんというか実にわたくしは、ああいった趣向が好きなのだな、と。つねにああいう趣向を混入させてしまうな、と。
そんなかんじかな、と。