なぜか近況

RDFというものを物凄く付け焼刃式に勉強したがもうわすれつつある。しかしこういうのはそのエッセンス的な部分が頭に残っていればよいのだきっと。
同時についに麻雀を覚えつつある今日この頃。博打方面は性格的に得意ではないのだけれど、やはり面白いのだなあ。ただしまだ緑一色とかチャンカン(というのであったか)とかわからん役がある。

いろいろある、それはもういろいろあるのだよ

PJの話。
ぬりかべというペンパはやはり自分のなかでややとくべつである、というのはやっぱし最初にのったパズルがぬりかべGだし、その後もずっとぬりかべGだしってことでまあいわゆるちかしい存在。わがホームグラウンドのような気がする。
で、夏もまっさかり、そんなきのう7月22日に自分作ぬりかべジャイアントが早解きもんだいになるってんでたいへんうれしかったのだが同時に早解き一位のちゃーみー氏が1月27日の問題に言及してくれたのがうれしい。
えーとまず、今回の早解き問題を作ったのはたしか昨年暮れか、年始かといった時期であった。その際ふと今回ぬりかべでフィーチャーされている例の手筋を入れ込もうと思ったのだが、あれは喫茶コロラドで3時間ねばって、たしかバイト休みの時間だったはず、とかそんなことはどうでもいい。
で、またさらに時間はさかのぼる。この手筋がはじめて利用されたのは意外に古く、確か70号付近。隔月刊時代のことである。その後さらに月刊時代のどこかでもつかったはずだが何号だったかまあよく思い出せない。まあそんなことでとにかく発生時期は古く、すでに2回は公になっているのだけど、なんかねー、この手筋には問題点があって、まあ前述隔月刊時代の作品など見てもらえばわかるのだが、とにかくつなげていくのが難しくて、盤端ならやりやすいんだけど、盤内部に入り込んでゆくと壁とのかねあいがむつかしく、それゆえぐだぐだになってしまいがちという。まあ端的にいえば技術を要するという。フィルオミノにおける蛇みたいなものですな。
なので若かりしころのわたくしなどは手筋を生かしきれず、ぐずぐずにて候、といった状況を生んでいたのだが、ここでさらに話は季刊時代(後期)。わたくしは実はスーパーGにおいて三度目となるこの手筋「よせてはかえす」(今名づけてみた)の導入をはかったことがあるのだ。ところが結果はボツ。わたくしは意気消沈したのだがしかしこのとき確実につかんだものがあったのである。それはこの「よせてはかえす」を盤面内部で長くつなげてゆくための数字のおき方なのだが、ここで説明するのが面倒くさいので省略。まあといてみればわかるよ、というかんじでごまかしつつ、でまあその発見によって難易度は上がってしまうもののとにかく「よせてはかえす」は手の内にいれた、ということになったのであるが同時にやはりボツという事実はおおきいもんで、まあしばらくこの手筋はわすれておった。
そんな背景を踏まえた手筋なのである。で、久しぶりに思い出して、あPJなら入れてもいいんじゃない、許容範囲ひろいし、といったノリでその暮だか年始だかに完成させたのだが、コロラドで、ミルクレープ食ってたかも、とか本当にどうでもいいのだよ。でそれを投稿したのだが、驚くべきことにその約一ヵ月後の1月27日に出題されたわがぬりかべ14×24の問題をみたら、おもいきりその「よせてはかえす」がいれられてたという。
で、いつ作ったのか、とかまったく思い出せなかったりして、投稿控えとかもとっておいててないんで自分、なのだが感想としては、サイズと難易度がマッチして程よい雰囲気を醸し出していいじゃない、すごく、であり、さらに忘れていた問題だけに贈り物式に印象深く、おまけに風みどり氏におおいにほめられているということがすごく励みになったりしていて、まあそんなことでそろそろ消え行く問題なので1月27日のその問題も解いてくれるとすっごくうれしいなーなんておもってるぼくちんでーす。

夏だし暑いから言いたい事をいってもいいじゃないって思った。夏だし

ひそかにフィルオミノペンパ本をすべて解いたのである。
うーん。
しかしながらこう、実際毎回おもうのだけれど、どうもフィルオミノペンパ本というのはいまひとつ楽しくない、というか、スリリン等にあるような上達してゆく喜びのようなもんがないというか。どうもぐいぐいもってかれない気がする。
で、たぶんさあー、それもさー、きっとそうだと思うのだけれどー、たぶんね、実はまだフィルオミノの手筋を作者が把握しきってないのだとおもうよ、俺。いやもうあえて文句言うついでにわかってるぜ的、先輩社員の昼飯のついでに後輩の悩みのアドバイスでもしたるか的見下し成分を配合させながらいってしまうけど、かつてフィルオミノ手筋は5段階に分かれる説を提唱し実際それはかなりいけてる説なんじゃない、的確なんじゃないなど思っているわけで、それにてらして言えば、大きいサイズでの手筋5「噴き出す」の使い方が蛇花火にかたよっている節があり、で、これもつねづねいっているけれど、蛇花火は使い方をうまくやんないとだめなんだって。全体的にそのあたりがしんどいのと、あとそもそも発生関係の手筋がほとんどなく、べたーと、のんべんだらりと伸びと弾きだけで埋めてゆくというどこまでもかったるい問題がちらほらあるせいで、なーんかやなかんじのペンパ本だったでぇーす。思考力のあまりない昨今。
しかしながらね、フィルオミノは本当にわかっている作者といまひとつ作者の差がけっこうあきらかになってしまっているんじゃないかなー。全員一考。

じぶんでじぶんのきもちを分析してそれをアピールする4月

ただしさってのは2つあって自分がおもうただしさと他人がおもうただしさの2つ。それでその2つというのはきっと同じくらいの重みを持っているはずだ。もちろん自分のただしさと人のただしさが一致しているのがもっとも幸福な状態であるが、まあしばしば両者が一致しないのでその齟齬を解消すべく、議論ディベートあるいは説得と言った手法をもちいて自分の正しさをひろめたりする。逆に自分はまちがっているのかもぉ、と他人のただしさにあわせることもある。で、わたくしは自信満々な面倒くさがりのためか自分のただしさと他人のただしさがちがっててもいいや、おれんなかではただしいのだし、という具合に思ってそのただしさの不一致をかいしょうしようとしないことがおおい。それはまたわたくしがパズルの議論をあんまりしたくないというわけでもある。

わあわあわあ

pjのジャイアント問題はたいてい早解き用にわりあてられるのだけど、11月ぶんのわがぬりかべジャイアントがそうならなかったのは、きっとpj担当、金氏の、早解きで解かせたくないと言う意図がはたらいているせいだ、とかたく信じるほどおれはその問題をいい問題だとおもっている。たとえていうならあたかもタランティーノのように偏執的にキューブリックように哲学的でありながら同時にスピルバーグほどの大衆性を兼ね備えておる、ジャッキーチェン並みのサービス精神にも溢れながら。あーぜんぜん映画って観ないけど、イメージで言ってみた。まあしかしこの問題はほんとにぬりかべジャイアント界10年の歴史をふまえたおれにしか作れん問題だと臆面もなくいえる。

あけまして

気がつけば二ヵ月たってしまった。パズル・ザ・ジャイアントがとどいてへやわけ作者に名をつらねているわたくしではあるが、他の作者の方々をみるとコンスタントにへやわけGを発表している作者たちだし、そんななかぜんぜんうまくない問題だあという感じでのってるのはちょっといや。
そもそもいっときへやわけに熱をいれたこともあったがそのときは他のペンパにも同じように熱をいれていたようなきがするし、最近は特にまったくへやわけにはごぶさたでむしろあんまり好きじゃないペンパであるから近年のへやわけ界の動向もよくわからずこれはパズル・ザ・ジャイアント編集部の人選ミスではないかとおもいつつまあ好きに作っちまえとやっちまった問題なのでおもしろくないっていわれてももう知らない。