受験戦争の最前線から

毎日夏期講習、教える側。
で、教育にパズルをというのはぜんぜん普通。ニコリその他のパズル本にのってるペンパたちが日々教室にばら撒かれてるが、でもかりにこの状況が単にパズル好きを生んでるだけだったとしたら面白い。塾でまかれるパズリストの種。
しかもそのなかではとりわけ四角に切れの定着率がなかなかのもんで、おそらく四角を切る際のかけざん九九の利用、図形の把握、試行錯誤力が勉強力の発達を促すといった理由でもてはやされてんのかなって思う。それにしてもこういった形で市井的空間に浸透してゆくというのも四角に切れ開発時には予想もしなかったはずで、それもまたわけのわからんことであるよ。

花火は夏の花だから

花火を見に行くと絶対にこれはもう展開ということを考えざるを得ない。
一度上がってから次が上がるまでの間が形成するそれ、とか。いやそもそもそのひゅ〜〜
という音とうっすらした筋でまず期待を喚起し、どかんと何を見せてくるかというひとつひとつの繰り返しが小さな山場を生み、さらにその組み合わせで大きな展開、クライマックスを作り上げるのはこれはまさしくドラマツルギーの手法といえよう。ドラマツルギーってどういういみ?まあたぶんこんなつかいかたであってるでしょう。この展開の作り方は当然のことパズルにも共通する概念だと思ってるし、俺っち基本的にそう信じてるから、一応そういう視点で今日も花火見た。
しかし今日の、今年の東京湾はちょっといけなかった気がする。展開が弱かったなとか。てか中だるみしてたなとか。そう俺っち思ってしまったね、完全に。

お酒を飲んでいるので普通に感想をしたためてみました。

時ってすぐたつ

先日提出した推理パズルにおいてわたくしは、どの図書館で何を借りたかといったような内容設定でヒントを構成、パズル一問を完成させた。今回おそらく推理パズルを作ったのは四年ぶりくらいになるのではないか、おかげで作るのが大分たいへんで、わたくしは昔のペンパ本を解くなどして勘をなんとか取り戻し、しかしながらまあ苦労したおかげで、自分の設定作りにおける得意と限界なんてのも分かったからまあ良かったな、いろんな手筋も把握できたし、等おもっている提出後のちょっとした愉悦であったのに、しかし!
ああ!
今日わたくしは気づいてしまったのだった。自分が推理パズルを作る上では実体験を入れると大いにつくりやすい、むしろ架空の設定はつくれんわーという自己認識から、わたしはリアル経験を随所にすべりこませた。この問題では都立多摩図書館が貸出不可だったという経験に基づき「多摩図書館は貸出できないだと」という文言を挿入したが、これおもいきり設定と矛盾してたね。マトリクスに「借りたもの」という項目があるのにね。ばかだね。

もちこみ

もちこみました。
ひさしぶりにゆきました。
よるの9じになってもせいしょがおわらなくてこころがせいてしかたありませんでした。
でもなんとかまにあったのでよかったとおもいます。
ふだんはあわないひとにもあえたし、ふつうではきけないはなしもきけたし、
かんしんしたり、
びっくりしたりもしたので、
ぼくはとてもうれしかったんだとおもいます。

たなばたその後

ニコリ最新刊のひとりにしてくれの新手筋っていうのは、あ、まあこういうことをわざわざ言い放つ、他人にアピールするというのは一種ケンケンほえる座敷犬的なみみっちさがあってあれですが、しかしながらそういった危惧をふまえてもあえていいたいのは、あの手筋はわたくしもうニコリで使った問題が掲載されたよなあ、ということで、まあいわばニコリ誌におけるパイオニアは俺、と主張したいものなのだが。

雨が降ってグラウンドは暮れる

電車の移動中に美術館1を解き続け、半分ほどおわった。
ここまで解いて、このパズルはまだ発展途上だと思った。へやわけ1の感じに似ているのではないかと思った。それだけ。